川北英隆のブログ

京大の立て看と吉田寮

今日の日経新聞の文化欄にタテカン(立て看板)賛成系のエッセイが載っていた。関連で、9月末までに(近隣では有名な)吉田寮から出ていくよう、大学側が学生に通知したそうな。
この5月、タテカンが強制撤去された。吉田神社の参道でもある京大正門への道に、タテカンが一切なくなり、何かが欠如した感がしたものだ。
タテカンの撤去は京都市の要請である。それに基づき、大学側が撤去したという。
5/14に書いたように、「タテカン撤去を要請する前に、今すぐにでも京都市としてやることがもっとあるやろ」と思っている。四条通の歩道にある電気設備の大きな箱の撤去というか、移動がその好例である。京都市には税金を払っている。納税者の立場として、トランプのような目くらましは止めてほしいものだ。
とはいえ、今のタテカン、通常のさばっていたものに、日経のエッセイに書かれたようなエスプリがあるのかといえば、えらく乏しい。職業学生運動家?による変な主義主張が書きなぐられているのに等しい(等しかったと過去形かな)。一時、正門のところに巨大なタテカンを斜めに立て、それを半屋根にして立て籠もっていたのはもっと見苦しかった。
一方でクラブ活動などのタテカンは面白かった。そういうのが吉田神社への参道に並んでほしいものだ。そうなれば1つの風景だと思う。
この関連で、吉田寮からの退去命令、僕は仕方ないと思っている。大きな地震があれば本当に倒壊するだろう。今回の台風での被害はなかったのかも心配だが。
入寮している者、入寮を許可した者(自治を主張する学生?の組織)が地震などの被害に対して全責任を負うのなら、勝手にしたらいいと思うが、今の法律はそうなっていないはずだとも思う。それに寮の自治とは、ある意味で大学が黙認してきたものである。
そもそも、僕が京大の教員になる前から(そのはるか以前から?)、寮の問題は懸案事項になっていた。それを解決できなかった大学本部はだらしない。片方で、学生?も自分たちの学生?活動拠点を奪われたくないのだろう。これが寮問題に根底にある。吉田寮と比べれば「新しい」熊野寮も同様である。
いずれにせよ、自治組織のこれまでの主張に正当性はない。もちろん、入居権を維持するための交渉は必要だろう。それさえ確保されれば十分ではないのか。
そうそう、吉田寮を文化財だという主張もある。文化財だという正当性はよくわからない。でも、文化財であることと、地震への対策とは別物である。混同して議論しているとすれば、京大生も(大学本部もと、一応書いておくべきかも)えらくアホになったものだと思う。

2018/09/16


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