川北英隆のブログ

大手金融機関と顧客ニーズ

恒例となった京都大学での講義(NVIC=農林中金バリューインベストメンツの寄附講義)で今年も経営者に語ってもらった。また、同じNVICの関係で某社の施設を見学した。そこで知ったのは、これらの企業が顧客との接点を非常に重視していることである。
今年登壇してもらった事業会社は、東京エレクトロン、スリーエム・ジャパン、浜松ホトニクスである。某社の施設とは、テルモのメディカルプラネックスである。
各社とも、それぞれ事業領域や方法が異なるし、顧客の質も異なる。しかし、共通点があった。それは顧客やその代弁者のニーズを、多くの機会を積極的に設けて直接把握したうえで、顧客ニーズに応えることで高い付加価値(高い利益率)を得ていることだった。
顧客と一緒に製品を開発したり、専門家を集めたシンポジウムで研究開発すべき具体的な課題を見つけ出したり、顧客が実際の製品に振れ、扱い、意見を述べられる機会の設置であったりする。これらの場や機会を使って顧客ニーズを深く理解し、独自の技術で解決策を提供し、その解決策(新たな製品)から生み出される付加価値を顧客と分け合う事業モデルである。
顧客としても、新たな、時には革新的な解決策を提供してもらえれば、相手側の利益率が高くても、「値段が高すぎる、もっとまけろ」とはなかなか言えない(他の解決策がないから、もしくはコアの技術部分が特許などで固められているから、言えない)仕組みである。
ここで振り返ったのが金融市場、証券市場である。顧客のニーズを把握し、それに応える努力をどこまでしてきたのだろう。
証券を含めた金融市場には規制が網の目のように張り巡らされてきた。過去から最近に至るまで、革新的な金融商品を生み出す競争もなかったし、それができたとしても規制で阻まれた。
30年も昔、銀行と証券会社の間には業務の垣根問題、つまり縄張り問題があった。縄張り問題だから、要は金融技術や金融市場の発展によって生じた成果を誰が享受するのかの争いであり、享受する者として暗黙のうちに想定されていたのが銀行か証券会社だった。顧客は後回しだった。規制当局にも、顧客目線が乏しかった。
ここで、顧客は大きく2つに分けられる。1つは企業という大口顧客であり、もう1つは個人である。企業の場合、銀行や証券会社といえども無視できない。むしろ、企業には過剰なほどのサービスをして、そのツケを個人に回すこともあったと考えられる。
個人にとってみれば、金融機関が顧客のニーズを把握してくれないどころではない。それに反することさえされかねなかった。たとえば、上場企業に有利な条件で株式や転換社債を新規に発行し、それを個人投資家に売る行為がある。
規制当局がそんな金融機関の心の中の筋書き感じとれないはずもなかったのだが、当時の規制当局の意識は「金融機関をできるだけ潰さない」、「それによって金融市場の安定性を維持する」ことであり、個人という顧客に対する思いは最低限にとどまっていた。つまり、個人に明らかな不利益をもたらさないことにとどまった。これが日本の金融市場をとりまく文化を形成した。そう言っても言い過ぎではない。
この文化に大きな変化が生じている。その象徴がフィデューシャリー・デューティー(FD)である。信認義務とか受託者責任とか訳される。金融機関に対して規制当局がFDを問うようになった。
信認義務を負う典型が医者である。病気の治療や手術において、患者との間に知識や立場の大きな差異があるのは明白である。こめため、専門家として顧客のことを十分知り、治療行為や手術をしなければならない。
金融機関と個人との関係も同様である。命よりも大切だとは思わないが、その次か、次の次くらいに大切なのがお金である(関西人的な感覚かな)。そのお金の運用に対してFDだと主張するのは変だ(規制的な目線でいただけない)と思うが、逆にFDさえ意識してこなかったから、日本の銀行、証券会社、保険会社の中から変なのが登場し、ずっこけ、その結果、金融市場全体に対する信頼が失われ、閉塞感が強くなるのだと思う。
日本の金融機関に必要なのは、個人顧客のニーズを探り、金融の専門家の立場からお金の運用に対して親身に相談に乗る姿勢だろう。相談の結果、これがいいと心底から評価できる金融商品の提案だろう。金融商品の真贋の評価には、金融機関自身(その従業員)の能力を高めなければならない。
個人としても、金融機関がちゃんと相談に乗ってくれ、その過程で推奨された金融商品の投資収益率が長期的に高ければ、そのプロセスで徴収される手数料が結果として平均より高かったとしても、何の文句もない。
ラップ口座だ、ロボアドバイザーだ、フィンテックだと新しい名前のサービスが次々に登場している。その中身が、従来の顧客軽視、自分達の収益重視のやり方の看板をすげ替えただけのものではないのかどうか。金融機関はもう一度胸に手を当てて自省するのがいいだろう。

2019/07/20


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