川北英隆のブログ

郡山小学校の卒業アルバム

小学校の同窓会が隔年開催されている。2年前に初めて出席した。今年がその開催の年に当たるのだが、都合があり欠席の返事を出した。と発起人的なのから電話があり、「"かしき"って知ってる」と質問された。いきなり聞かれても、「それ誰」なのだが。
「アンタと大学が同じらしいので、知ってるかなと思ったさかいに」とのこと。小学校と中高が同じで、大学が一緒のなら当然知っている。中高が同じでなければ、よほどの友達か近所でないかぎり、その後どうしたのかは知らない。だから、「それ誰」と最初に思った状態のまま、前に進まなかった。
電話の主旨は、知っているのなら、案内を出し、同窓会への出席を促したいとのことである。
電話を切り、少し考えた後、「そういえば樫木というのがいたな」と思い出した。同じクラスになったのかどうか忘れたが、何回か喋ったことがあるような。樫という漢字を彼の苗字で覚えたようにも思う。
どんな顔だったか、小学校の卒業アルバムを引っ張り出して見てみた。樫木という男子は簡単に見つけたが、思い出せない。住所からすると(当時のアルバム、住所まで入っている)、友達と自転車で遊び回ってた時、ついでに訪ねたような気もする。
その「かしき」探しはここまでで終わり、ついでに僕自身の写真を確認した。クラスの写真が2枚、学年での写真が2枚あった。そこまではよかったのだが、よく見ると4枚の写真がすべて同じ上着だった。季節は夏で、半袖だった。これまで気づかなかった(これまで数回した見たことがないこともあるのだが)。
クラスの写真は同じ日に撮ったのだろうが、学年の写真は同じはずがない。ということは、あまり上着を持っていなかったのか。
「貧乏やったんやろ」とカミさんが即断した。そうかもしれないが、上着を買えないくらいではなかったはずで、親も子供も、また時代からして、そんなことを気にしていなかったのかも。いずれにしても、季節ごとに2、3枚の上着をころがして着ていたのだろう。

2019/11/09


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