川北英隆のブログ

高い人間の能力とダサい大卒

以前からずっと思っていることがある。大学に進学することが必ずしも良くなく、それよりは1つでも特技を磨くことだと。とくに日本の多くの大学は、「大学を出ました」と履歴書に書ける程度の値打ちしかない。記憶力テスト代わりか。
そんな履歴書だけに基づき、それに加えてスポーツマン的根性があるとか、芝居(自分を前に押し出す演技)や周囲との調和(話題を合わせられる)が上手だとか、旧態依然とした基準で新入職員を採用する企業も企業である。
結局のところ、事なかれ主義的サラリーマン社会が基準となり、企業という井の中での競争しか眼中にない社会を作り上げ、それが日本社会のベースとなってしまった。気がつけば、1980年代に世界のトップを走っていた日本が、今は周回遅れになったのが現実である。
サラリーマンの給与はこの四半世紀の間、ほとんど上がっていないようだ。そもそも日本の名目GDP(国内総生産、つまり生み出した付加価値の金額)が大して増えていないのに、企業の利益が増えているということは、賃金を抑制することで、まやかし的に利益を増やした企業が多いということに他ならない。そんな企業に反旗を翻さない従業員や労働組合こそ、日本がサラリーマン社会でしかないことの証拠だろう。
大学の存在は、そんなサラリーマンを育てることにあるようだ。特に文系がそうだろう。日経の名物コラム「私の履歴書」を読むにつけ、大学時代に勉強しなかった経営者の割合が高いのに唖然とする。まあ勉強してれば、サラリーマン社会での出世はほぼ絶望だろうが。
もちろん、日本が欧米先進国の物真似で成長できた時代はそれで良かった。しかし、今は違う。経営とは何か、技術の研究開発とは何か、大学時代にそれらの一端を知っておかないことには、現在の世界に太刀打ちできない。実際に経営者が勉強せず(何々運動学部、サークル学部に所属し)、それを反省するどころか、自虐が入っているかもしれないものの、半ば自慢気に語るものだから、大学上層部の意識改革と文科省の政策転換がなされていない。
思い出すことがある。25年位前だろうか、最近有名になったとなったD氏に、「営業職員にもレベルアップのための教育が必要では」と話題を振ったところ、「変に教養を付けると営業が駄目になる、今のままの方がバイタリティを保てる」と反論されたことである。教育という意味を取り違えられたのかもしれないが、要するに営業職員は中卒レベルで十分ということか。読み書きができ、客と適当に、反射神経良く話せればいいということだろう。
日本の場合、これまでの大卒の多くは営業が業務である。文系の場合はほとんどがそうだろう。理系でも多分にそうではないのか。そんな営業は中卒程度の教育で十分とは・・。とすれば、高校での3年間、大学での4年間に何の意味を見出すのか。
「高校や大学では、それぞれちゃんと教育してる」との反論もあるだろうが、今の高校は大学入試に受かるための知識をフォアグラ的に詰め込む機関と化し、大学の4年間はフォアグラ期間の疲れを取るための余暇として使われている。
僕の経験からしても、高校や大学の普通の「勉強」が役立つことはなかった。自主的な勉強にしか大きな価値はなかった。
ちゃんとした大学の教員に言わせれば、大学とは本来、そういう機関ということだろう。知識を詰め込むのではなく、学び方、進むべき方向を示す(教員がそれの案内人になる)機関にすぎない。だから、教員に過大な(おんぶにだっこを)期待しても仕方ないのである。
僕の経験からしても、小論文を課すと、「何をテーマにすればいいのか」質問されることが多かった。僕の返事は決まっていて、「テーマを考えることが大事なんや」と。一緒にゼミを担当してもらった教員も同じスタンスだった。自分独自の問題意識を持つのが大学で学ぶ第一歩である。
大学が義務教育の機関と同様、何かを教えてくれるだろうと思い、進学することは大きな間違いである。自分で学ぶことを通じ、組織を作ること、研究することの一端を味わうのでなければ、日本社会としては中卒で働いてもらった方がいいと断言できる。
中卒がいやなら、高校からは自分でやりたいことをやるに限る。もしくは、やりたいことを見つけるため、学校や家庭などで様々な経験を積むことである。
人間の能力に大きな差があるとは思えない。天才はいるのだろうが、天才は学問、音楽、絵画などの特定の世界だけのものではない。いろんな世界に天才が存在するし、誰しもがそんな天才になる素質を有している。
天才でなくても、その一歩手前、数歩手前の能力がごろごろしているのではないか。その能力をどれだけ発掘できるのか。その発掘の仕組みづくりが国家や世界の発展に直結する。これが教育である。
黄門様の印籠であるかのように、○○大学卒だと聞いて「へへぇー」とひれ伏すのでは、天才の発掘とは真逆の方向に向かっている。日本の教育システムの大きな間違いである。

2020/01/08


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