川北英隆のブログ

小谷山へ

雲雀山から伊部の村中に戻り、旧街道を北に向かって歩いた。実のところ、当初は雲雀山から北に尾根を歩き、小谷の城址の上部に入ろうとも考えていたのだが、雲雀山の状況を見て諦めた。
伊部から北に歩き、国道365号線を横切ると、小谷城址の入り口になる。案内施設などがある。当然ながら(?)横目で見送り、右手、山へと続く車道に入る。その入口付近に、かつての尾根道が崩れながらも残されているのだが、通行には苦労するように見受けられた。しかも10月はマツタケのシーズンであるため、「入るな」と書いてあった。
車道を歩き、出丸という先端の城跡を巻く。その上部で、かつての尾根伝いの道と合流し、車道を離れる。金吾丸と呼ばれる砦への道を右手に分けると、番所跡に出る。車道の終点でもある。琵琶湖(竹生島)の展望がある。
その先は小谷城の中核部である。城の施設の跡が次々に登場する。現在はクヌギ類(アベマキが多い)や桧を中心とした林になっているが、かつては建物群が続いていたのだろう。
馬の、つまり軍備の施設を過ぎ、大広間と呼ばれる天守の一角に出る。井戸もあったらしい。その上に本丸がある。その上にも城跡が残り、一番上が山王丸である。398メートルの標高点付近である。そこから少し下りになる。向かいに小谷山の山頂が見える。岩場もあり、なかなかの風格である。
鞍部付近の手前に六坊と呼ばれる場所がある。有力寺院の出張所だったとか。
鞍部では清水谷からの道が合流している。ここを信長勢が攻め上ったとある。谷には武家屋敷が点在していたらしいが、すべて攻め破られたのだろう。
鞍部からは頂上に向けた急な上りである。道は階段もあり(歩くにはかえって邪魔だが)、整備されている。登りは一度緩む。登ってきた城跡と伊吹付近の展望がある。もう一度少し急な登りを経て山頂に出る。三角点は道のすぐ横にある。
山頂は大嶽(おおづく)と呼ばれる城跡である。広く、かつ少しくぼんでいて、城跡だと確認できる。全体は雑木林の林の中だが、琵琶湖側の展望が少し得られる。
下りは頂上から南西に伸びる尾根を下り、麓の村、郡上に出た。本丸のある尾根に比べると道の整備は今一つというところだが、それでも普通の登山道に比べると整備されている方だろう。
途中、福寿丸、山崎丸と呼ばれる城というか砦跡がある。また、本丸の稜線が見える箇所もある。朝、薄曇りだった天気が晴れに変わったからか、ツクツクボウシが遠くで、少しだが弱々しく鳴いていた。
最後に獣避けの柵を通り、清水神社を通って郡上に出た。この村も北国街道の宿場だったそうで、伊部と併せて小谷宿と呼ばれていたとか。やはり由緒のありそうな家並みが続いている。
郡上からは車道を西に向かい、北陸自動車道をくぐって河毛に出るだけである。晴れたが、風が少し冷たい歩きだった。小谷城址の登り口から河毛駅まで、2時間半弱だった。
写真は本丸跡のクヌギ(アベマキ)林である。夏草でも秋草でもなく、これまでの山登りでついぞ見かけなかった類の林に、400年以上の短いようで長い月日を感じた。
20201007小谷城本丸跡の林.jpg

2020/10/07


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