川北英隆のブログ

長谷光雄氏の逝去

訃報が届いた。長谷(ながたに)光雄氏である。元日本生命の取締役、ニッセイ基礎研究所の専務取締役だった。満82歳とある。ニッセイ基礎研究所の時代にいろんなことをやらせてもらった。家内も面識があり、わが家では「長谷おじさん」と呼んでいた。
大学の先輩(学部は調べないとわからない)であるため、ニッセイ基礎研究所の以前から面識があった。株式調査をしていた頃だったか(その少し後だったとも思うが)、長谷さんが席にやってきて、胴巻きのような財布に結ばれた紐をぐるぐるさせながら、「富山のインテック(今は非上場)に投資しているのやが、どや」と質問してくる。
インテック、飛ぶ鳥をも落とす勢いだったかどうかはともかく、当時は先端的な企業だった。「柄の悪そうな風体やのに、ハイカラな企業に投資しているのやな」と思った。
ニッセイ基礎研究所ではいろいろと言いつけられた。長谷さん、株式投資と同様、新しもの好きだったのだろう、研究領域の融合の一環として金融研究の視点から環境を調べろ(だったかな)と言われた。「ほな少しひねって、趣味と実益も兼ね」というので森林の調査を企画し、経済調査部の俣野君とタグを組んで調査に走った。
出張で、富士山の植林、丹沢のブナ林、世界自然遺産に登録されそうだった白神と屋久島、阿武隈、九州の市房山、飫肥、大隅半島などの現地調査を行い、林野庁や森林総合研究所(つくば市)で資料などをもらってレポートにまとめた。さらに金融と関係づけるために「森林の証券化」(森林持ち分に対する投資)を提案した。今から思うと、一番面白かった時代である。
当時の日本生命はまだ収益力が高く、役員クラスにはそれなりの交際費の枠があったのだろう、時々飲みに連れてもらった。森林の調査をして以降、その回数が増えた。洋風が好みで、キープしてあったバーボン(フォア・ロゼ)を飲ませてもらったのを覚えている。
「これを飲んでトイレに行くと花の香りがする」とか自慢していた。「ほんまかいな」と思い、トイレで少し注意を払ったことを思い出す。花の香りなんてしないから、ひょっとして「糖尿違うかな」と思った。
ニッセイ基礎研究所を退かれた後、体調を壊された。確認していないが、やはり糖尿だったのかなと思う。
82歳は若い。風体に似合わず繊細な一面があったと思う。僕の今の関心を一段高めてもらった方だけに残念である。ご冥福を。

2021/03/15


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