川北英隆のブログ

半国高山から貴船方面へ

今週は高雄(高尾ではない)の奥から、登り残していた半国高山(669.8m)に入った。その足で白木谷山(565.4m)に登り返し、さらに向山(426m)を越えて叡電貴船の手前の駅、二ノ瀬に下りた。実のところ、この歩きでの最高地点は岩屋山(680m)だった。
これらの山は京都の「北山」に属す。京都生活が長くなったため、北山はそれなりに歩いているのだが、半国高山は奥深いために登り残していた。先々週、周山に入った時、同じJRバスを使うと半国高山に簡単に入れることを知った。
7時少し過ぎに二条バス停から、前回と同じJRバスに乗った。通勤通学が少ないためか、空いていた。登山口のバス停は小野郷口である。この村は高雄を流れる清滝川の流域である。
小野郷口のバス停の横から山側に林道が上がっている。それに入り、供御飯(くぐい)峠に上がる。峠にはお地蔵さんが一体祀られている。その裏側に北尾根に上る道があり、半国高山に向かっている。
広葉樹中心の林の中の道なのだが、時々針葉樹林が交じる。尾根の広い箇所と少しある倒木の付近には判然としない箇所があるものの、全体として明瞭な踏み跡が続く。ただし蜘蛛の巣が多い。展望は、山頂を含めてほぼないに等しい。
半国高山から下り、岩谷峠に下りる。峠の両側から登山道が上がってきているはずだが、明瞭ではなかった。667mのピークに登り返す。このピークからの下りが不明瞭で、西尾根を下りそうになった。
その次の620mのピーク付近は倒木が多かった。このピークの手前の峠、青谷峠にはお地蔵さんが二体あり、赤い前掛けを着ていた。
緑坂峠は切通状である。倒木がたくさん転げ落ちている。刻みの薄れた一体のお地蔵さんが祀られていた。峠をほんの少し東側に歩くと北への縦走路がある。急登の箇所の踏み跡は不明瞭なものの、高みを目指して登れば660mのピークに着く。踏み跡が少し明瞭になる。
このピークから東に折れる。最初に上がったピークに「岩屋山」の名札があった。等高線は680m、確かに岩屋山の最高点である。
次の670mのピークから北の尾根に折れる。南東の尾根にも踏み跡があり、それをたどると次の目標である持越峠に行けるのだが、今回は北側の薬師峠に出たかった。以前、桟敷ヶ岳に登った時、峠に六体のお地蔵さんがあったから。
岩屋山の三角点(648.9m)の手前に壊れた社があった。670mのピークに壊れた石塔があったことからすると、社は薬師峠の下の志明院の奥の院だったのか。
薬師峠の六体地蔵は丁寧に祀られていた。ここから志明院への道が荒れていた(所々壊れていた)ことからすると、手入れは清滝川の最上流の村、大森なのかもしれない。
岩や倒木に足をぶつけながら、以前と同様の暗い感じの志明院に下り、車道を出谷まで歩き、そこから右に橋を渡り、車道を持越峠まで登った。持越峠の手前、左手に林道がある。それに入り、林道を南にたどって白木谷山の三角点に出た。途中、半国高山とその北側の尾根が木立の薄くなっている箇所から見えた。
白木谷山から、さらに林道を南にたどり、氷室の村を目指した。途中で林道が終わるが、比較的広い道が氷室へと向かっている。ただし倒木があり、また1箇所崩れているため、迂回路を利用する部分がある。
氷室からは京都一周トレイルに入り、東に下る。やはり倒木が点在するが、薬師峠からの下りに比べると非常に楽である。トレランかどうか、10人近くに出会った。
京都一周トレイルを下り切ると鴨川と鞍馬川の合流地点に出る。橋で鴨川を渡ると発電所がある。京都一周トレイルは発電所を回り込むようにして、向山に登っていく。よく整備された道である。
向山を越し、実は向山よりも高い439mのピークの東側を巻き、夜泣峠に出る。かつて桟敷ヶ岳、魚谷(いおたに)山、貴船山を越えてたどりついた峠である。峠からは叡電二ノ瀬駅へと整備された道を下った。
二ノ瀬は勝手知ったる駅のつもりだったのに、鞍馬川にいたカワガラスの姿に見とれていて、駅への北側の入口(階段)を見落としてしまった。仕方ないので南側の入口を上がろうとしていると電車が入ってきた。飛び乗った。(知らなかったのだが)実は叡電、土砂崩れのため9月18日まで1年少しの間、二ノ瀬駅、貴船口駅、鞍馬駅は運休していたとか。ということで、最後はぎりぎりの山旅で終わった。
8時から歩き始め、二ノ瀬駅に出たのが16時40分だった。
写真、上は薬師峠の六地蔵である。下は白木谷山の手前からの半国高山(一番手前のピーク)と、その北に伸びる尾根である。
20211003六地蔵.jpg

20211003半国高山と北の尾根.jpg

2021/10/03


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