川北英隆のブログ

郵貯の存在意義が消滅

会費や少額の送金用に、よく郵貯の払込取扱票が用いられてきた。赤や青で印字された用紙で、右1/3くらいの部分にミシン目が入って領収書付きになっている。今回、某学会の年会費を払えと、その紙が送られてきた。そこで郵便局に出向いたのだか。
会費は1万円だから、札1枚でいい。払い込み手数料は「加入者負担」なので、札と払込取扱票の2枚をポケットに入れ、いつものように近くの郵便局に歩いて行った。窓口でポケットから紙2枚を出して手続きを依頼したところ、110円が必要だという。「加入者負担やないの」と言ったところ、「現金での払い込みには1/17から110円が必要になった」との説明だった。加入者負担の場合、郵貯の口座から払い込むと無料だとか。
「何のこっちゃ」と思ったが、窓口の責任ではない。110円さえ持ち合わせていないので仕方なく家に戻った。
ポケットに入れていた紙2枚に通帳を加え、ATMで払い込んだ。実は領収書が欲しかったのだが、払込取扱票の右側の部分が出てこなかった。「領収書やーい」と思ってよく見たところ、ATMの「ご利用明細票」なる紙に非常に小さな字でコピーしてある。
郵便局、意外に進んでいると言うべきか。でも、このATMは爺婆向けではないと感じた。まず払込取扱票を挿入する位置が高い。腰が曲がった背の低い婆さんなら(母親を思い出している)、そこに紙を挿入するのは無理ではないか。
そもそもATMがいろいろと質問してくるから、しかも質問に答えても反応がトロいから、操作からして難しいだろう(銀行のATMでまごまごして、係員に教えてもらっている爺婆を思い出している)。簡易郵便局にはATMの操作を教えてくれる係員はいない。確認していないが、呼び出しベルはあるのだろうが。
庶民のための、か弱い個人のための郵便局ではなかったのか。郵便局ネットワークを維持するため、日本郵政はゆうちょ銀行とかんぽ生命から、「(国民が)ユニバーサルサービスを利用できるように」と交付金を受け取っている。その金額がケチられているのかもしれない。つまり、郵政全体としてとして全国民に対するユニバーサルサービスの提供を諦めたということかもしれない。
そういえば、普通郵便の配達に日数がかかるようになった。これもまたユニバーサルサービスを諦めた事例だろう。郵便に日数がかかるのは仕方ないのだろうが、では郵政が「信書」を運べる唯一の事業会社という古くからの枠組みはどうなったのか。土日や祝祭日を挟むと届くのに延々日数が必要な「信書」とは何なのか。昔の飛脚や早馬制度に戻ったのか。
ユニバーサルサービスを諦めるということは、郵政事業、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の郵政3兄弟が普通の事業会社に変身したことを意味する。とすれば、信書制度に意味がないし、郵政3兄弟が国営のフリをする意味もない。クロネコと堂々と競争し、普通の銀行や保険会社と同じ土俵の上で相撲を取るべきである。
東欧の悲しみからすれば些細なことだろうが。

2022/02/24


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