川北英隆のブログ

酒波寺と近江坂

酒波寺は741年に行基によって開かれたとされる。興福寺の系列として栄えたのだが、その後、延暦寺の系列にあったために織田信長によって焼かれた。今の本堂は江戸時代に再建されたものの、坊の跡はそのまま放置されており、遺構が残っているらしい。
その由緒ある寺の横に日置神社がある。多分、酒波寺と対で祀られていたのかと思う。その日置神社は日置山岩剣大明神とも酒波岩剣大菩薩とも呼ばれている。
この地区は、織田信長の以前は酒波寺の広大な寺領だったらしい。1351年、そこへ若狭国倉見の住人の立ち入りが認められ、その御礼にと倉見から大般若経600巻が贈られたとのこと。それを運んだのが近江坂だという。
この近江坂の道、実は山の連続である。途中、950mのピークもある。「そんな山道を使わなくても、通常の街道があるはず」と思うのだが、山道を歩いてこその御利益なのか。
なお日置神社と倉見にある闇見神社とは、日置神社縁起によると、親子というか兄弟の関係にあるようだ。
日置神社の横に山神社があった。末社とか。その日置神社には神主がいなくなったらしい。日置神社には立派な神輿が残っていて、無形民俗文化財の「川上祭」に使われる。
そんなことを調べた結果、いつか近江坂の奥を歩いてみようかなと思った。
20220526酒波寺の山門.jpg

20220526日置神社の鳥居.jpg

2022/05/26


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