川北英隆のブログ

日本企業は係長社長を頂く

日経新聞の名物コラム、私の履歴書を長年読んでいる。その記憶から思うのだが、面白い人物の登場が年々減っている。とくにサラリーマン社長の、つまり大企業の社長の担当月が面白くない。念のため、特定の月を指しているわけでないことを断っておく。
前にも書いたと思うが、ある著名人がある時ある会社を評して、「係長みたいな社長」と表現したことがある。
当時はその会社を見て「まさにそうやな」と感じただけなのだが、現在の日本社会には、この係長みたいな社長がはびこっている。本当の係長は、一係員に落ちぶれ、社長の命令に唯々諾々と従うだけである。部長や課長もそれに近いのだろう。
社長は細かい点に気づかなくてもいいと主張するつもりはない。優れた社長なら、多くの細かな点にも気づくと思う。しかし本物の社長に必要なのは、他の多くの気づきも合わせて、「今のわが社に何が不足しているのか」と考え、それを昇華させることである。細かな点を一々指摘し、「ああしろ、こうしろ」と指図するのでは係長レベルに留まる。本当の社長職を全うする時間が不足してしまう。また社長に指摘された者はたまったものではないし、「社長が考えてくれるだろう」と、指示待ちに徹するのが効率的な仕事のやり方となる。
戻って、優れた社長なら、一般人には見えないものを見るだろう。豊かな発想と表現してもいい。さらにその発想を現実化することが重要かつ可能だと考えれば、実行に移すだろう。一般人から見れば大胆な行動と映るだろうが。
逆に、女将違うお上から言われたから「しゃあないな」と行動するのは、お上が課長で社長が係長という図柄でしかない。今の日本社会を見ていると、そういう社長係長の行動が多すぎるのではないか。お上もまた、素直な社長係長に多くを期待しているのだろうが、それもまた指示待ち係長社長を育む。
付け加えれば、企業団体もまた、お上の指示を受け、その指示を少しだけ加工して、もしくは駄々をこねつつ完全に無視するわけにもいかずに渋々の行動案に仕立て、加盟企業に伝えること徹しているように見える。
足元では、政府が要請する賃上げに関しても同じである。
そもそも係長社長の超得意技は人件費を抑えて利益を伸ばすことにある。1990年代後半、その前の放漫経営が祟り、多くの企業は経営破綻の直前にまで追い込まれた。その果てに、必要に迫られて賃下げや人員カットを行い、この技を会得した。そればかりか味を占めた。社長の仕事としては、知恵を絞る必要がなく楽だから。しかも係長社長としては何かやらないといけないこともあり、「この技を喰らえ」とばかり披露を続けている。結果として日本全体の賃金が上がらない。
この技のおかげで日本企業の多くは縮小均衡に陥り、世界的な競争から脱落していったと考えていい。何とか国内市場でガラパゴス化して生き残っているか、勢いの残っている自動車産業に寄生して息をしているかである。
賃上げに戻ると、世界的な競争に打ち勝つためには、他社よりも高い賃金を払って優秀な人材を集め、設備を最新鋭化し、従業員には時代にあった教育を常に施すのが本手である。しかし現実はというと、係長社長は人件費の圧縮という一手のみで競争に打ち勝とうとして、本手を疎かにしてきたというか、忘れたに等しい。
今回の世界的なインフレの中でも同じである。お上が「賃上げ、賃上げ」と執拗に叫ぶから、また企業自身も世界的な超金融緩和と円安によって利益を得たから、ようやくのこと「みんなと一緒に一歩だけ動こうか」という風潮になっている。日本国内での横並び主義、係長社長主義である。
現在、日本の有名大学を出たとしても、「ほんまは日本企業に就職したくないな」考える者が多数派になっている。魅力的な企業や業界が乏しい。企業は拡大のための投資に消極的だから、設備や製品は世界に一歩遅れてきた。情報化に関しては周回遅れである。これでは日本企業の競争力はもちろん、魅力も失われる。いわゆる輝きやオーラが消滅する。
社長に必要なのは、従業員が見ていない一歩先を見て考えることと、最後は大胆な決断である。係長的に、爪に火をともす人件費削減主体の、みみっちい経営ではない。人件費カットは必要なときだけでいいし、普段は係長の仕事である。
企業経営の本来の姿とは、賃金を合理的にアップし、従業員に喜んでもらうことにある。当然、そのために製品やサービスのレベルアップが常に求められる。この本来の姿を取り戻した時、係長社長という今や主流となり果てた役職が消えるだろう。

2022/12/05


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