川北英隆のブログ

中学時代の榛原近郊の山

貝ヶ平山と額井岳を2回に分けて歩きつつ、中学3年の春休みに歩いた同じ2つの山の記憶を蘇らせようとした。思い出せたこともあったが、多くは記憶の闇の中のままである。
Mと僕と、医者になった島と中谷の4人で歩いたのは記録に残っている。誰が言い出したのかは不明だが、当時の友達関係からして中谷君ではないかと思う。
コースは、榛原駅から歩き始め、額井岳、香酔山、貝ヶ平山、鳥見山を経て長谷寺駅まで歩き通した。長谷寺駅に着いた頃、日が暮れていたのを思い出す。
今回、額井岳を歩いてイメージしたことがある。榛原からどう歩いたのかは不確かだが、額井村落の十八神社から登ったのだろう。
当時、額井岳の南斜面は植林ではなく、カヤトなどの草が茂っていた。途中までは登山道をたどったようにも思うが、最後は草につかまりながら直登した。登り着いたのは額井岳の最高点だったのは確かである。北側は杉などの林だったような、かすかな記憶がある。
額井岳からダイレクトに西へと下ったようだ(今回、十八神社からのハイキングコースと合流した後に登ったコースは歩いていない)。稜線に出た後は確かな道だった。しかし香酔峠が近くなると不確かになったように記憶している。峠に着き、どうしようか(榛原に戻るかどうか)少し思案したように記憶している。
峠から香酔山までの記憶はない。貝ヶ平山へは直登だった。灌木の斜面を登りきると山頂だった。山頂の手前で小さな貝の化石を拾った。
山頂から北へと道が続いていたのを記憶している。その記憶から、いつか真平山を歩きたいと思い、それがこの3月に実現した。
貝ヶ平山から先、鳥見山付近の記憶はないに等しい。当時は東海自然歩道もないから(1970年から73年に整備されたとある)、鳥見山からどう下ったのだろうか。榛原駅に戻らなかったことからすれば、鳥見山の山頂から西へ、萱森村落へ直接下ったのだろうか。
谷沿いの道を歩き、日が暮れ始めた記憶がある。駅まで、人家のない道が長かった。
ようやく着いた長谷寺駅は川から少し登らないといけない。とはいえ下から見上げた駅の電球の光が頼もしかったようで、その光景が目に残っている。
以上が現在の記憶(一部は単なる想像)である。これ以上は無理、ますます記憶が薄れるだろう。とりあえず文字に残しておく。
写真は天満台から見た香酔山(右の丸いピーク)と貝ヶ平山(左奥、頂上部の平らなピーク)である。中学時代、この新興住宅街は一面の田畑だったのだろう。
20230424香酔大和貝ヶ平山.jpg

2023/04/24


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