川北英隆のブログ

中学校の同級生と先斗町へ

こう表題に書いて、「中学生と先斗町の組み合わせも粋やな」と思った。「小学生からZ会、何ちゃらを買い」みたいなものか。
それはともかく、少し前に書いたブログが契機となり、O君と会うことになった。日程調整したところ、京都で会おうとなり、場所を相談した結果、先斗町の「ますだ」で決まった。
直近に合ったのは2015年10月だった。日時と場所も判明している(刑事物かいな)。それは僕が意外に几帳面で、スケジュールをパソコン管理しているから。「ズボラやさかい、パソコンで管理せんとアカンのやろ」かもしれない。
店のカウンターで話しをしていて、「これって8年前の話題に上ったかも」と思うのは、中3の春休みにO君が僕の実家でアルバイトしたことだ。自転車で奈良から郡山まで通ったとか。昭和41年(1966年)だから、まだ実家の商売がというか、得意先が栄えていた時代である。アルバイトを雇っても仕事は十分にあった。
そこでの思い出としてO君が語ったのは、「少し遅刻をしたとかで、10円とか20円、時給を引かれた」と。父親は几帳面だった。それを反面教師として僕が育ったわけだが、子供の友人だからといって、遅刻に目をつむるような性格ではない。それが社会に出た時の厳しさの教えになったのか、それとも「堅物や」となったのか。
11年後、僕の結婚式にO君が出席してくれた時、父親とどんな話をしたのか、しなかったのかは聞けていない。
それにしても先斗町は変化している。狭い通りは観光客であふれ、歩けないくらいである。O君が中国人の客と喋っていたので少し通りで待ち、その間に方向を忘れて帰り道と反対に歩き、仕方ないので高瀬川に出て帰路に戻ると、キャバレーの客引きだらけだった。いまだかつて経験したことがないくらいの「賑わい」である。
別れ際、「もう何回会えるのか、チャンスは少ないさかい、近々に中学校の知り合いを集めて永久の別れの会を」と約束した。社会人時代の友人とも「永久の別れの会」を開き始めたので、第二の「永久の別れの会」と称すべきかも。こうして次々に飲み会が成立していく。

2023/10/10


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