川北英隆のブログ

譲葉山を越えて柏原へ

梅堺を越えると少しずつ道の落ち葉と枯れ枝が増えてくる。踏まれ方が少ない証拠である。標高差にして100mほど下り、登り直す。柏原側の東奥へと下る棚原峠を過ぎ、権現山に出る。この付近でシカを見た。
権現山には三角点(541.3m、点名は権現山)があるものの、譲葉山の肩的なピークである。山頂からは北側の展望があった。
権現山で道が直角に曲がる。少し下った鞍部から緩やかに登り直し、最後に急登すると譲葉山の山頂の一角に出る。山頂は大きな植林に覆われている。山頂部を東へ歩くと土塁にぶつかる。城趾らしい。その奥に朽ちた建物があった。譲葉神社である。その付近が独立標高点594mのある譲葉山の山頂である。
譲葉山から東へと急な斜面を下る。下り始めに間違いやすい尾根がある。道は少しずつ悪くなっているものの、踏み跡よりもはるかに明瞭なので、間違えればすぐにわかる。またコース全体に赤いテープも付けられているので、それがなくなれば間違った証拠である。。
450mの等高線まで下ると、後は小さなアップダウンが続き、奥山に出る。縦走路から10mほど北に三角点(431.5m、点名は奥町)がある。三角点の周りは切り開かれ、西に譲葉山、東に黒頭峰の丸く大きなピークが見える。今回の山歩きの中で一番開放的な箇所だったかもしれない。とはいえ、落葉樹に若葉が茂ると展望は怪しいだろう。
奥山から先、尾根は次第に南向きになる。少し登ると分岐に出る。分岐を東に取ると瓶割峠から黒頭峰への縦走路である。今回は南の稜線を歩いた。分岐からほどなく下りになる。
その下りの途中、左手に地籍調査のテープがあり、尾根上にルートが付けられている。間違いやすい箇所である。その先の鞍部からの登りは緩やかなのだが、「後は峠に出るだけ」思っていたから、長く感じた。と、突如として道が消えた。よく見ると10mほどの段差だろうか、下に峠道が通っている。鐘ヶ坂峠(標高400m強)である。
どう下るのかと少し探したところ(それまで続いていた赤いテープがない)、右手(西)に踏み跡がある。下り始めは峠に向いているので慎重さが必要だが、数歩下れば後は楽だった。峠に出て、かつての峠越えの道を柏原方面へと下った。
鐘ヶ坂峠(もしくは鐘坂)越えは柏原から篠山を結ぶ最短路だったものの、難所でもあったらしい。江戸時代には峠越え、明治と昭和にトンネルが掘られ、さらに現在は3代目のトンネルができ、国道176号線が通る。
江戸時代の道もハイキングコースとして残してある。道は鐘ヶ坂公園に出る。ソメイヨシノが散り始めていた。公園から先は、途中まで旧道を歩く。上小倉の村落を抜けると176号線歩きになる。歩道がほぼ付けられていた。
写真は、上から権現山の三角点、譲葉山山頂の朽ちた神社、奥町三角点(左奥に譲葉山の山頂)である。
20240414権現山.jpg

20240414譲葉山.jpg

20240414奥山三角点.jpg

2024/04/14


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