以前、「今も続く殖産興業主義」を書いた。その中で日本の単元株制度を取り上げ、株式市場も殖産興業主義にあると書いた。この単元株制度が議論されていたのだが、その結果は日本的な漸進主義を象徴している。周回遅れの加速だろう。
今日(24日)、東証が「少額投資の在り方に関する勉強会」の報告書を公表した。昨年10月から始まり、期待していたのだが・・。正面から単元株制度を議論しないという(つまり表題に「単元株」という文字がない)、そもそもの姿勢に問題があったのか、しかも「勉強会」だったものだから、報告書は努力目標的な結論で終わっている。
東証にも気の毒な側面がある。そもそも単元株制度とは、日本的なパッチワークの代物である。1株という万国共通の単位があるにもかかわらず、1株では売買させない、株式に付与された権利を行使させない目的で単元株という特殊な制度がわざわざ作られた。具体的には、日本では100株を1単元と定義し、その単元株の単位でしか(つまり100株単位でしか)取引所で売買できない上に、単元株未満の株主は(たとえば1株や50株の株主は)正式な株主とは認めてもらえない。
要するに、株主なのに株主ではないという、足のない株主が存在することになる。金融リテラシーで株式という制度を教えるのに、その株式を1株持つだけではまがい物の株主でしかない。
何故こんなややこしい、差別化の権化のような制度を作ったのか。そもそもは企業の要望である。代表的には、株主総会などに費用がかかるから株主を増やしたくない、チッソの水俣病の時代に流行った1株株主のように変な個人や団体に株主になられては困ると、企業が考え、要望した。だから、制度をそれに合わせたのである。
その結果、今は何が起きているのか。多くの上場企業の場合、数十万円ないと正式の株主にはなれない。個人に金融リテラシーを身に付けてもらい、株式を買い、日本企業を応援してもらいたいという資産運用立国政策の根幹に賛同し、応援したい企業の株主になろうとすれば、加えて金融リテラシーが唱える分散投資にも則して(つまりリスク分散のために複数企業の株主になり)金融資産を持とうとすれば、あっというまにウン100万円もの資金が必要となる。もっといえば、1単元で500万円必要な企業もある。株式市場の花形であるキーエンスやユニクロ(ファーストリテイリング)である。
この単元株制度を維持しながら、一方で「証券で財産形成」「それが金融リテラシー」とは、政府は国民を馬鹿にしているか、吉本新喜劇を演じているのかどちらかである。そうでなければ殖産興業主義の続きなのだろう。
東証の報告書は、(正面から取り上げなかったという意味で)斜に構えつつも、単元株を議論の対象としたのは評価できる。しかし結論は「上場企業はもっと株式分割をせよ」「せめて10万円で正式の株主になれるようにせよ」である。
日本的な常套句である「欧米では」(タカアンドトシではないが)どうなのか。数万円が当たり前である。『個別株投資の教科書』で書いたように、アップル、マイクロソフト、アマゾン、グーグル(アルファベット)、エヌビディアなど世界的な企業であっても数万円あれば株主になれる。だから「今日、ちょっとどうや」と気軽に飲みに違う、投資できる。
「せめて10万円単位で」とは、ちゃんちゃら可笑しい。そこまでたどり着くのか、たどり着くとして何年かかるのか。ようやくたどり着いても海外とは大差である。そんなことでは日本株からどんどん個人が離れていくだろう。
東証は投資家を向き、毅然とした態度を示すべきである。それが結局は日本の株式市場のため、日本企業のためになる。
2025/04/24