生まれて何回引っ越したのか。奈良の郡山市で少なくとも3ヶ所に住んだ。「少なくとも」とは、実は僕が郡山のどこで生まれたのか未確認だ。記憶にある最初の家とは違うと思っているから、それが正しければ4ヶ所である。その後、郡山を離れて3ヶ所に住んだ。
郡山の最初の家(1ヶ所目もしくは2ヶ所目)は借家だった。北郡山の 竪町もしくは立町(漢字は?)にあった。
幼稚園の前に家移りした。移った先は父親が最初に買った家である。市の真ん中、材木町にあったから、材木町の家と言おう。
次に住んだ郡山の家は、柳町の家である。元々は父親が工場用の土地として買ったのだが、仕事が斜陽になったこともあり、その土地に住居を建てた。父親が知り合いの大工に注文したものである。
材木町の家は売らずに残していたのだが、ボロボロになっていた。戦前からある町家だから当然だろう。間取りはというと、通りに面して玄関と寝室があり、奥に土間、台所、食事の部屋、居間があった。さらに奥に中庭、風呂、トイレ(というか厠)があり、もっと奥に工場があった。工場は家移りする直前に父親が建てたものだから、その以前がどうなっていたのかは全く知らない。このようにいろいろと建っていたのだが、土地は60坪少し、要するにウナギの寝床である。
柳町の家に移った後、材木町の家はしばらく空き家になっていたのだが、その後に父親が貸家にした。工場を改築し、単身者用の部屋にしたと聞いている。その頃の僕は東京に転勤していたため、どのように改築したのかは知らなかった。
通りに面した家は鍼灸師が借りていた。その借主が15年少し前くらいかに急死し、奥の家の借手も1人だけになり、家の老朽化が激しくなった。台風が来ると危ない状態だったと聞いていたし、実際に見てみるとそのとおりだった。
両親が亡くなり、コロナの直後に奥の家の借手が立ち退いた。そこで、コロナが明けたことから(2年くらい経ったが)、処分を決めた次第である。大手の仲介チェーン店であるセンチュリー21に電話をして、建物の解体を頼み、ついでに売却したいと伝えた。
このセンチュリー21が正解だったのかどうかは分からない。しかし、もう40年くらい前、株式アナリストの仕事をしていた頃にこの会社の分析をし、その株式への投資を決めたことがある。「悪い会社ではない」との記憶があったので依頼した。
不動産会社にとって大した案件ではない(高額の取引ではない)から、ささっと事が運んだ。4月初旬に依頼し、すぐに解体の手続きをしてもらい、月末には買い手が見つかった。近鉄の駅にもJRの駅にも10分前後で行けるから、当然かも知れないが。
今日、その材木町の家の取り壊しが始まった。妹曰く、古い家に残っている荷物の搬出が最初の作業だったらしい。ゴミの分別が厳しくなっているからか。
記念に、材木町の家の写真を撮った。中を撮っても仕方ないので、道路側だけである。屋根は「台風で瓦が飛ぶかもしれない」というので20年くらい前だったか、父親がトタンを被せた。家の正面右側は町屋風の格子になっている。住んだのは幼稚園に行く前から大学2年生までだったか、そんな家の最後の姿である。
2025/05/07