チベットというか、ラサへは4回目の訪問だった。記録を見ると、1999年7月、2002年4月、07年9月、そして今回の25年6月である。毎回、ラサのポタラ宮殿と大昭寺(ジョカン)を訪れているものの、最初の印象が圧倒的に強い。
99年、個人旅行として成都からラサに入った。日本生命のD氏の誘いだった。まだラサに古きチベットが残っている時代であり、その町並みの上にポタラ宮殿があり、町並みのただ中にジョカンがあった。ついでにデプン寺とセラ寺を訪れた。それらにはチベット仏教の伝統が残っており、「これがチベットか」と圧倒された。
02年はその少し後だったことと、ツアー旅行だったため、印象が薄い。とはいえポタラ宮殿の再訪は楽しめた。
07年、ラサはすっかり変わっていた。古いチベットが消え、中華風になっていた。とくにジョカンが観光地化したことにがっかりだった。ポタラ宮殿も見学の時間制限が厳しくなり、観光客の待ち行列ができていた。ラサの町の魅力度が半減以下になったと思えた。
今回はさらに18年後であるから、観光地化のさらなる進行は当然である。ラサの外縁部には住居としての高層ビルが建ち、普通の都市との差として残るのは、位置する高度だけになった感が強い。夕食の場も日常の延長線上にしかない。
ポタラ宮殿やジョカンの見学も予約制になっていた。手荷物検査もある。ジョカンの周囲の著名な通り、八角街に入るにも手荷物検査があるから、気の赴くままの街歩きは不可能である。入ったところで観光ショップが続くだけだった。ジョカンで五体投地している現地人の扱いは不明だったが。
今や鉄道は青蔵鉄道の完成からさらに延長されていて、チベット第二の町、シガツェまで延びている。車道もシガツェまで高速道路が完成している。これが秘境チベットの現状である。もっとも、鉄道は観光客に人気がないらしい。機関車はディーゼルのようだった。とはいえ中国政府にとって主要都市間に鉄路を敷いたことに意義があるのだろう。
写真、上はラサとシガツェを結ぶ鉄道の列車である。上手く撮れなかった。1日1往復だと説明を受けたような。下はポタラ宮殿とその麓である。チベット文字ではなく漢字が溢れている。
2025/06/12