変わるものと変わらぬもの。これが今の京都の姿ではなかろうか。中学校時代の友人が京都に出てきたので、先斗町で飲んだ。その後、「蕎麦でも」と軽く食べられる店を探した。その経験譚である。
友人と現地集合した。少し迷った友人が後で店に入り、いきなり「先斗町は肉の店が多い」と感想をもらした。僕はいつもながらの店を予約し、さっと入ったので、「周囲に肉の店が多い」とは感じなかった。店の大将に「先斗町にはまだ昔の店が多いのでは」と質問したところ、「大きく変わっている」との返事だった。
20時過ぎに店を出て、先斗町を見つつ歩いた。確かに肉を扱う店が多く、かつ新装開店的な構えが目立つ。店内では外人がやたらと飲み食いしている。「ふーむ」だ。
「蕎麦でも」と思いつつ、店を探したのだが、本当の蕎麦屋は僕が京都に移住した時のまま、すでに閉まっていた。確かにかつて20時過ぎ、寺町や新京極を歩いたとしても、繁華街なのにほとんどの店のシャッターが下りていた。当然、通りを歩く人影はまばらだった。
今はというと多くの外人に出会う。開いている店も多いが、それはここ数年で開店した店である。仕方ないので、少し炭水化物でもと探したのだが、これと思ったどの店も席が埋まっている。店員に聞くと、「しばらく待て」とのこと、イヌやネコでもあるまいにと思いつつしばし待ったのだが、席に案内してもらえそうにない。ほったらかしである。
そこで次の店を探して入ったところ、メニューを見て仰天した。しょうもなさそうな食べ物が2000円も3000円もする。当然退散し、次の店(和風ラーメン)で決まりとなった。10席くらいしかない小さな店だったのだが、僕らが食べている間、客のすべて東洋系の外人だった。(質が)それ程でもない1000円少しのラーメンを食べ終え、今の京都を見たと思った。
ところで、最初に食べた店は先斗町の深い路地の奥にある。流行っているのだが、客は日本人だけ、英語のメニューなんてないし、路地の入口には何の看板もない。知ってる者だけが入る店である。
それに対して流行りは外人向けの店である。値段は日本人の感覚からすると高い。最近の開店だから質は少なくともピンキリなのだろう。むしろ素人的な者がチャレンジしていると考えるべきかもしれない。
新しい京都の店、何かにつけて「京」とか「京風」とか看板を飾り立てるが、今や京都の店全体が京風になり、外人が「これが京都」と信じているのかもしれない。本物の京は絶滅危惧種、レッドリスト入りかと思った。
2025/06/19