川北英隆のブログ

鋸山から下山して散策

鋸山から鏡峠へと下った。尾根通しの道なのだが、登りと異なり尾根が複雑である。一方、アップダウンが少なかった。大きな岩が点在し、それを巻くために踏み跡が尾根から離れる箇所もある。とはいえ踏み跡が明瞭なため、外せばすぐにわかる。
標高520m付近で南に佐仲ダムへの踏み跡を分ける。大阪方面から車で鋸山に登る場合、この佐仲ダムからのルートが一番便利だろう。鋸山からの踏み跡はこの付近から太くなる。
その後も緩やかに下り、鏡峠(425m)に出た。西に上がれば三尾山、峠を北に下れば春日町中山、南に下れば丹波篠山市小阪である。南に下る者はほとんどゼロではなかろうか。かつては黒井と篠山を結ぶルートであり、よく使われたのだろうが。
三尾山を経由すれば帰りが遅くなるので、峠から北へと下った。道は太く、荷車で上がれたと思える。今は細くなった箇所やこぶし大の岩が転がって荒れた箇所がある。沢に出ると車の通れる道になる。堰堤の横を通り、池(中山新池)の縁を通る。獣避けがあり、鏡峠への登山口である。
車道に出ると三尾山が鋭角的な姿を表す。浄土宗のお寺(正覚寺)から南に下り、県道に出た。バス停(三尾登山口)が近い。時間を見ると14時少し前だった。黒井駅行きのバスは45分後ながら、タクシーを呼んで駅まで急いでも、乗れる電車は同じである。そこで付近を少し歩くことにした。鋸山のギザギザが間近だった。
地図を見ると、すぐ近くに麻呂子皇子腰掛けの石(聖徳太子の弟、麻呂子皇子が腰掛けたという岩)というのがある。この岩は下三井庄塚古墳ともされるが確認できていない。なお、この皇子にちなみ、付近の地名が「大路」らしい。
散策を終え、バス停に向かって県道を歩くと、南側の畑の中に石組みが見える。中山古墳とされる。古墳に被せてあった土が流出し、飛鳥の石舞台のように石組みが露出している。
バス停で水分補給をしつつ、暫く待つとバスが来た。1人乗っていたが、駅まで僕を含めて2人のままだった。
上の写真は中山付近からの三尾山、下は麻呂子皇子腰掛けの石である。
20250623三尾山.jpg

20230523麻呂子皇子の腰掛け石.jpg

2025/06/23


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