日本は行動が遅い。それどころか、法律やルールが一度定まるとそれが絶対に正しいと信じ、てしまい、それらを変えることを極端に嫌う。こうなるとまさに宗教であり、原理主義である。既得権益を貪る者がわんさかいるからだろうが、その典型の1つが農業だろう。
トランプ大統領が「日本はアメリカのコメを買わない」と吠えた。多少の誤解はあるにしても、いつもの彼の咆哮にしては正鵠を射ている。日本のこれまでのコメ政策は、「食料安全保障のために主食米を基本的には輸入しない」方針を貫いてきた。1993年、ウルグアイでの世界的な協定に基づき、日本政府が最低限のコメの輸入を無関税で仕方なしに行っているにすぎない。それ以外のコメの輸入には高い関税がかかる。
一方で政府というか農水省はコメの生産拡大と輸出振興を政策として掲げている。そこには「水田のフル活用を図る」ともある。とはいえ現状は、「休耕され、草で覆われた田畑」が目立っている。山間部はもちろんのこと、東海道新幹線からも平地に休耕田が目立つのはどうしたものか。
知人は群馬の平野部の農地を相続した。自分で耕せないので近所の農家に貸すことにしたのだが、その貸借が要を得ないと嘆いている。契約に手間暇がかかりすぎるし、借主が貸借契約に基づいて耕作しているのかどうかもわからない。大した田畑ではないので何も文句を言わないだけらしい。
いずれにしても輸出拡大を図るには、1つは生産性の向上であり、そのためには農地に関して貸借制度を整備し、農業を可能なかぎり大規模化しなければならない。とくに高齢化と人口減少の著しい地方の農地に対して、対策が急がれる。しかし農水省が何かやろうとしているは思えない。見えるのは、零細な兼業農家を今のまま守ろうとの守旧的な政策だけである。
もちろん農業の大規模化を推進すれば、零細な農家が影響を受ける。しかしその影響を最小限に食い止める、つまりこれまで農地を保有してきたの農家に対して貸し出した農地の広さに応じた対価を十分に保障する仕組みを作れば、それでいいではないか。
もう1つはコメの品質である。この点は日本人の几帳面さからすれば、問題ないのではないか。今の質さえ保てれば、対外的な競争力が得られはずだ。
しかも安全保障の観点から、日本が脅威にさらされるのはコメだけではない。小麦もそうである。農業から離れれば、原油をはじめとするエネルギーの問題がある。今や日常生活に不可欠となったインターネットは、アメリカ企業に牛耳られている。コメ的な観点からすれば、多くの産業において極端な保護主義を遂行しなければ辻褄が合わない。
日本に必要なのは自ら改革を断行し、保護主義に走るトランプ政権に「ざまを見ろ」と言えるだけの競争力を得ることではないのか。今後の成果はともかくも、製鉄が代表的な事例である。さらには、これもトランプ政権と逆だが、世界各国にシンパを増やし、互いに困った時に助け合う関係を築くことだろう。
そうでなければ、「安全保障のための政策」はいざという場合に破綻をきたす。つまり、単なる念仏だったと露呈してしまうのが落ちである。
2025/07/02