川北英隆のブログ

債券発行市場の教師の死去

もう1つの知人の情報は訃報である。大和証券の引受部門に勤務されていた杉山正博さんである。杉山さんには債券発行市場のことを教えてもらった。
昭和59年、つまり1984年の4月から6ヶ月間だったか、大和証券にトレーニーとして派遣された。証券金融課という「新しい証券業務を企画するため新設された部署」の所属となったことから、「証券会社で勉強してきたらどうや」というトレーニーだった。
当時の大和証券の本社は呉服橋だったから、有楽町にあった日本生命東京総局までは徒歩圏である。だから、あまり楽しい(つまり伸びのびできる)トレーニーではなかった。とはいえ、日本郵船と平和相互銀行からのトレーニーもいて、彼らと仲良くなった。
トレーニーとしての内容もあまり楽しくなかった。というのも当時の証券市場、とくに債券発行市場は規制の塊であり、「何でそうなるのか」の理論に乏しかった。だから教えてもらった内容を覚えるだけに近かった。だから今はほぼ完全に忘れている。
そんな債券発行市場の教師の一人として杉山さんがいた。何人かに教わったはずなのだが、債券発行市場関係者で付き合いが続いたのは杉山さんだけだった。年齢は忘れてしまったが、僕より5歳は上だろうと思う。
その後もニッセイ時代に何回か会った。誠実な方だったとの印象が残っている。僕がニッセイを離れ、京都に移ってから22年、杉山さんと会う機会はなかった。
そんな杉山正博さんの名が、今日届いたメールにあった。元三菱商事のKDさんから、「杉山さんが急に亡くなられた」と。
そのメールによると、杉山さんはKDさんに対して僕の名を紹介したとか。思い出すと、確かにニッセイの時代に電話があり、KDさんに会いに行った。その後、KDさんとの縁が続いている。
知人が亡くなるのは寂しいものだ。杉山正博さんのご冥福をお祈りしたい。

2025/07/03


トップへ戻る