川北英隆のブログ

トリグラウの肩の小屋へ

計画では、ヴォドニコウ小屋に泊まった翌日、トリグラウの肩に建つクレダリッツア小屋まで登り、そこからトリグラウ山頂をほぼ空身で往復することになっていた。
当日の宿泊はクレダリッツア小屋であり、次の日の行程は長くない。この余裕ある日程が効を奏した。
現地ガイドが初日、ブレッドで話したように、スロベニアに滞在していた期間の天気は非常に変わりやすかった。晴れていたかと思うと、急に雲が湧く。見ている限り厚い雲ではないのだが、現地ガイドは雷雨になることを心配していた。岩の山だから逃げ場が少ない。
今回の登山では、3回の食事は基本的に小屋でとった。朝食の場合、スロベニアの夜明けは5時過ぎなのに対し、食事はは6時半もしくは7時だった。だから、どうしてもゆっくりとした出発になる。ヴォドニコウ小屋も一緒だった。
ヴォドニコウ小屋の標高は1817m、トリグラウ肩にあるクレダリッツア小屋は2515mある。道は前日と同じく石灰岩質の尾根を巻いていく。違いは、基本的に登りになり、かつ岩場の通過に鉄杭やワイヤロープが出てくることだった。
やがて鞍部に着く。標高2020mとある。分岐点でもあり、我々はクレダリッツア小屋への道をとった。トリグラウの東側を巻き気味に登るルートである。やはり石灰岩質の道で、鉄杭やワイヤロープの設置された岩場の通過があるものの、危険はない。
エーデルワイス、小さく花弁が白くて紙のように薄いポピー、チョウノスケソウが咲いていた。もう1つ、現地ガイドが確かトリグラウ・ローズと言っていたバラ科キジムシロ属の小さな花(Potentilla nitida)もクッションのように咲いていた。この種の花は見たことがなかった。
そんな我々を尻目に、ヘリコプターがクレダリッツア小屋に荷物を上げていた。小屋は岩稜に隠れて見えない。その荷揚げが終わったかと思うと、今までよりも大型のヘリコプターが岩稜の裏の小屋に下りた。後でわかったのだが、当日は退役軍人(バルチザン)の年1回の同窓会がクレダリッツア小屋で開かれる日だったとか。大きな軍のヘリコプターが楽団員達と楽器を運んだようだ。トリグラウがスロベニアの象徴だから、その山頂を望める小屋が恒例の会場のようだ。
ガレ気味の斜面をPotentilla nitidaを見ながら登り、山頂直下の窪地の残雪を眼下に、さらに登ると稜線に出た。そこから標高2515mの小屋まですぐだった。
現在、小屋は改装中とかで、本体は東側が取り壊されかかっていた。トイレは外の建物ながら、小屋と廊下でつながっている。水は天水のため、飲水はミネラルウォーターである。
小屋に着いたのは10時半、下のヴォドニコウ小屋からやっくり歩いて3時間だった。現地ガイドは天気を見定め、可能なら当日のうちにトリグラウに登ろうとしていた。クレダリッツア小屋で昼食をとり、その間にガイドが天気を見定めていたのだが、「急に雷雲が発達を始めた」とかで、登頂を翌日に延期することとなった。
と、雷が鳴り、霰になり、それが雪に変わった。外では退役軍人がセレモニーの最中だったのだが、その脇で雪が積もった。登頂を目指さなくて正解だった。
上の写真はクレダリッツア小屋である。小屋の上にトリグラウ山頂が見える。それへのルートは、手前の山の岩壁を登り、稜線を歩いて奥の山頂を目指すものとなる。下の写真はPotentilla nitidaである。
20250722クレダリッツア小屋とトリグラウ.jpg

20250722Potentilla nitida.jpg

2025/07/22


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