川北英隆のブログ

トリグラウ登頂の日

トリグラウへの登頂は当初予定の日ではなく、翌日の早朝に変更となった。しかし前日に雪が降り、積もった。現地ガイドは登りながら雪が凍っていないかどうかを確認しつつ、登頂できるかどうか判断するという。
小屋に無理を言い(現地ガイドの顔で)4時45分にパンと飲み物を提供してもらい、5時過ぎ、夜明けとともに出発した。3人に1人のガイドが付き、アンザイレンする(ザイルを使って結び合う)。前日の雪はほぼ解けていた。夜中、あまり冷えなかったようだ。晴れていた。
小屋からは一度軽く下り、そこから小トリグラウ(前衛峰、2725m)の岩壁に取り付く。下から見るとほぼ垂直ではと思える石灰岩の壁にうまくルートが付けられている。ワイヤロープが貼ってあり、鉄杭も要所に打ち込まれている。しかもガイドがワイヤロープなどにカラビナを引っ掛けて3人を確保してくれるので、危険はほぼない。
もっともルートは狭いので、登り下りのすれ違いの時はどちらかが待たなければならない。小屋での宿泊人数が限られ、(多分だが)テントを張れないため、登頂を目指す人数が限定されているのだろう。つまり富士山的な状態は生じないと思える。
傾斜がゆるくなり、プラニカ小屋からのルートと同流すると小トリグラウ山頂である。そこからは稜線歩きとなる。とはいえ稜線はごつごつした石灰岩で形成され、しかも幅が狭いから、岩壁と同様、ワイヤロープと鉄杭が設置されている。両側が切れ落ちいてる箇所もあるため、高所恐怖症の場合はスリルがあるか。南にはアドリア海(地中海)も見えた。
小トリグラウから少し下り、鞍部からトリグラウ主峰への登りになる。傾斜は強くないが両側が切れ落ちた稜線部である。しばらく急な上りの後、稜線が広くなり、山頂部に達した。小屋から2時間10分程度かかった。
山頂にはドームがある。スロベニア人の愛国的な司教ヤコブ・アリアジェが山頂の土地を買い、当時のスロベニアを支配していたドイツ(オーストリア=ハンガリー帝国)に抵抗するため建てたものである。シェルターとしても使えるらしい。
下りは同じルートを、やはりアンザイレンして戻った。下山を始めると南側から薄い雲が流れてきて、やがて山頂が隠れた。2時間近くかかって小屋に戻ると、トリグラウはすっぽりとガスの中だった。
写真、上は山頂付近の稜線である。下はトリグラウ山頂のドームである。左下に肩の小屋が小さく写っている(アップした写真では確認できないだろうが)。
20250723トリグラウへの登り.jpg

20250723トリグラウ山頂.jpg

2025/07/23


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