川北英隆のブログ

北原秋一さんが亡くなる

暑い夏の昼下がり、家で仕事をしていると電話が鳴った。日曜日、在宅を狙ったセールスかなと放置していると、カミさんが電話をとったらしく、受話器を持って部屋に来た。「北原さんの奥さんから」と言う。「変だ」と思った。
北原秋一さんは長野県南木曽の生まれである。1949年生まれとは知っていたが、ウィキペディアで調べると9月23日生まれ、ちょうどその年の秋分の日だったらしい。だから「秋一」なのか(多分)とはじめて理解した。
高校を卒業し、東京に出てきて通商産業省(今の経済産業省)に入省、経済企画庁(今の内閣府)などを経て、2000年だったと記憶するが、沖縄に移った。その2000年に沖縄銀行の執行役員、2004年におきぎん経済研究所の社長を務め、沖縄キリスト教学院大学で特任教授として教鞭もとっている。
非常に真面目かつ努力家であるが、それでいて現実性と地域愛のある行動に特徴があったと感じている。そうだから、働きながら筑波大学の修士号を修得している。著書には経済関係のものだけではなく、沖縄に関するものもある。
1977年、僕が通産省(調査統計部統計解析課)に派遣されて以降、交友関係が続いた。とくに北原さんが沖縄に移る前はよく一緒に山を歩いた。おきぎん経済研究所で何回か講演をさせてもらった。
スロベニアの山歩きの直前、北原さんに電話した。北原さんが今年の夏も南木曽の実家に帰るかどうか確認するためだった。京都の漬物をいつ送ればいいのか、決めたいと思っていたからである。
その電話が最後だった。7月17日に南木曽の実家で倒れ、26日に亡くなったという。悲しいことである。何回も行動を共にした友人が亡くなるのは、福間鋼治さんに次いで二人目である。
取り急ぎ48年間の感謝を伝えるとともに、ご冥福をお祈りしたい。

2025/08/03


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