川北英隆のブログ

北原さんと南木曽と

北原さんが故郷の南木曽で亡くなったのは、彼には自然だったのだろう。彼が沖縄に住んで四半世紀以上になるが、一番好きな土地がどこかと聞かれれば、南木曽と答えるに違いない。
コロナの前(何年頃かは忘れたが、多分10年は経つか)、北原さんは南木曽に戻ると言っていた。しかし結局、取りやめている。理由は確か、南木曽の近くにあった公立の病院が合併によって遠くになるからだった。高齢になると病院問題が大きくなるため、いくら好きな土地でも選択できないことが生じる。
その頃からだったと思うが、毎年夏になると南木曽に2ヶ月間ほど帰っていた。今年もそうだった。正確には知らないのだが、奥さん(かおりさん)の実家も近くの町だそうで、両方の実家を訪ねる日々とのことだった。電話で7月に話した時には、自分の実家を無償で希望者に譲りたいと語っていた。
一度、北原さんの実家を訪れたことがある。1986年11月に南木曽岳からの下山時だったと記憶している。40年近く前だから、北原さんの両親は顕在で、お母さんからお土産までもらった。大きな田舎の家だった。今も当時と変わらぬ姿で建っているのだろう。
そんなことをいろいろと思い出していたものだから、昨夜は通産省と思しき事務所と、少し強面の班長さんらしき人物が何人か登場した。北原さんは登場しなかった。
北原さんのことを知っているのだろうか、知らせようかどうかと迷っていたのだが、結局はそのまま帰ろうとした。雨の日だったらしく、傘立から自分の傘を探し出し、エレベータに乗ったのだが、天井が雨漏りしていた。傘を差した。
その班長さんの一人が経営する喫茶店に入った。その喫茶店は飲み屋的な雰囲気に変わり、前の店と違うのではと思案していると、チェーン店になっていることが判明した。場所が複数あってややこしいなと思い、目が覚めた。
先のブログに北原さんが2000年に沖縄に移ったと書いたが、調べると1998年だった。訂正しておく。

2025/08/04


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