実はスロベニアで、かつて北原さんと一緒に歩いた山のことを思い出していた。ツアー同行者に秋田出身者がいたからクマの話題となり、その流れで森吉山のマタギのことを質問した。その森吉山は北原さんと登った。
確認すると北原さんとは1990年以前に度々山に入った。90年以降は北原さんが東金市に転居したため、一緒に行く機会が減った。
最初は通産省統計解析課で一緒に仕事をしていた時である。課長の宮田満さんが山とスキーが大好きで、その半ば親衛隊長として北原さんともう1人、原昭吾さんとが任命されていた。それに僕も参加した。東北の朝日や飯豊、南アルプスにと、各地に一緒した。
思い出すのはクリスマスの日の夕方(記録では1978年)、かなりの雪が降る中を三ツ峠に登った。北原さんか原さんだったと思うのだが、大きなケーキを山小屋まで運んだ。そこで箱を開けると、ほとんど崩れていないケーキがあった。
宮田さん抜きで北原さんと(主の彼の友人だった佐藤輝さんを加え)最初に入った山は伊豆の万二郎、万三郎だった(1978年)。その後いろいろと登ったが、一番の思い出は屋久島だろう(1987年)。宮之浦は晴れていたが、永田岳の夜は大雨だった。小屋に打ち付ける雨の衝撃で小屋が少し揺れた。その下り、生まれて初めてヒルに食われた。
そして1984年の森吉山か。阿仁で民宿を営んでいたマタギの家に泊まり、森吉山に登り、反対側に下りた。民宿の車で迎えに来てもらい、最寄り駅まで送ってもらったのだが、途中で車が急停車した。何かと思えば、走っていた林道にマムシがいるという。それを民宿のオジさんが捕まえた。マムシ酒にするのだとか。前日の夕食の時、そのマムシ酒だったかを、「これを飲むと汗が目に入ってこない」とかで少し飲ませてもらっていた。
もう1つ思い出したのが会津駒から燧ヶ岳に登った時である(1980年)。その時、檜枝岐の温泉に浸かった後で食べた蕎麦が絶品だった。しかも食べきれなかった。寝る前、「もう少し食べられそうなんやけど」と民宿のオバさんに言えばよかったかも。ショージくんの読みすぎかな。
そうそう、平ヶ岳からの下り、雷に追われたこともあった(1982年)。下り切ると大雨だった。思い出せばなかなか終わらない。
できれば若返り、もう一度だけでいいから北原さんと、関東でも東北でも山を歩いたら楽しいだろうなと思ってしまう。
2025/08/04