川北英隆のブログ

南アの遠山谷兎洞遡行

山口在住の高木伸治さんが「南アルプス 遠山谷兎洞から赤石岳へ <三高山岳部1936年夏山合宿の記録と解説> 」という冊子を上梓され、それを送ってくださった。掲載内容は、民俗学などで著名な梅棹忠夫氏の新発見の著述であり、その解説である。
もう少し書くと、梅棹忠夫氏が三高に入学したその夏、南アルプスの中でも僻地だった天竜川流域の遠山川の支流、兎洞(という谷)を遡行し、聖岳の西にある兎岳(2818m)に登り、そこから赤石岳、荒川岳、塩見岳を縦走し、三伏峠から塩川沿いに鹿塩へと下山した記録である。彼自身が三高山岳部備え付けのノート「ルーム日記」に記したものでもある。
手書きのノートであり、かつ昭和11年(1936年)、梅棹氏は16歳だから、いろいろと注釈が必要となる。その役割を高木さんが丁寧にこなしてられる。
読んでいて、当時の登山の様子が伺える。地元民を強力兼ガイドとして雇っていることなどは、当時の高等学校の学生がエリートだったことを物語る。その一方、縦走路に入ると登山者がいる。遡った沢にも踏み跡があったりする。
なかなか興味深い冊子である。当時の写真は16歳の梅棹氏と一緒に歩いた1年上の先輩との、赤石岳を越えた地点での記念撮影のものだけだが(高木さんはその撮影地点を探求し、確定している)、高木さんがかつて撮った縦走路からの参考写真なども掲載されている。
僕自身は、聖岳、赤石岳、荒川岳、塩見岳には2回しか行っていない。兎岳から三伏峠の間は1回だけである。そうなのだが、素晴らしい(16歳だった梅棹氏の表現を借りると「泣ける」)山域である。体力があればもう一度歩きたいと思うが、もはや無理かも。誰か一緒でないかぎり、気力も伴わないだろう。
ついでに調べたところ、三伏峠へのかつての一般ルートはアプローチの車道が崩壊したことから、今は廃道寸前になっているようだ。その代わり、三伏峠の西南西側の林道を使ったルートが一般的らしい。
兎洞は歩かれていないようだ。難しいのだろう。ただし、兎洞を囲む北と南の尾根には歩いた跡が記録されている。とくに南側の尾根は迷うことが少なそうだ。そこを歩こうとは、今更ながら思わないが。

2025/10/04


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