川北英隆のブログ

元伊勢内宮皇大神社は

元伊勢内宮皇大神社は今の伊勢神宮が創建される前の4年間、伊勢の元宮だった(元伊勢内宮皇大神社のホームページ)。この元宮は日室ヶ岳の山頂にあったとの伝承もある(同)。皇大神社の境内には遙拝所が設けられ、日室ヶ岳の東斜面(神社側)が禁足地となっている。
元伊勢内宮皇大神社のホームページにアップされた「日出の奇麻知(くしまち)」によると、「丹後の与謝の石鳥居から東南東を望むと、大江山千丈ヶ嶽(与謝の大山)、元伊勢内宮(吉佐宮)、伊勢両宮(内宮、外宮)とは一直線で貫かれています」と書かれている。
この与謝の石鳥居とは与謝の遙拝所だろうか。吉佐宮とは、検索すると天橋立の北に位置する丹後一宮、伊勢籠(この)神社の奥宮である真名井神社とされるが、「吉佐」の名からすると与謝のことか。古代の場所から移された可能性がある。そもそもこのホームページの原典が分からない。
そこで論より証拠と国土地理院の地形図上を用い、与謝と大江山(千丈ヶ嶽)、大江山と伊勢とを直線で結んでみた。すると、与謝と大江山の線は伊勢神宮から少し外れる。大江山と伊勢を結ぶと、その線上に日室ヶ岳があり、元伊勢内宮皇大神社は少し北に外れる。なお、真名井神社は大江山の北東部に位置するから、伊勢神宮とは完全に方向違いである。
わかったことは、「日出の奇麻知」の線とは、大江山、日室ヶ岳、伊勢神宮を結ぶ線だとのことである。「日出の奇麻知」が元伊勢内宮皇大神社に伝わっているとすれば、本来の御神体が日室ヶ岳そのものであり、その山頂に本来の社があったとしても不思議ではない。現在、境内に遙拝所があり、日室ヶ岳の東面が禁足地として残されているのも納得的である。もっとも、今の日室ヶ岳の山頂には社らしきものがなく、さっぱりしたものだったが。
大江山の西側の与謝というか与謝野の地区には、地形図を見るだけでも古墳が複数ある。大江山周辺には製鉄(タタラ)の跡がある。周辺の民は製鉄技術を力に、大和政権に従わなかったのだが、やがて平定されていく。その象徴が酒呑童子伝説だと考えられ(出雲のヤマタノオロチも同じ)、大和政権による平定の象徴が元伊勢内宮皇大神社のように思える。
写真、上は与謝野駅からの大江山であり、中央右の丸いピークが千丈ヶ嶽、さらに右の少し尖った感じのピークが赤石ヶ岳である。下は鬼岳稲荷神社からの日室ヶ岳(下に見える三角形のピーク)である。
20251029与謝野駅からの大江山.jpg

20251029鬼岳稲荷神社からの日室ヶ岳.jpg

2025/10/29


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