川北英隆のブログ

計画生産の愚

日本の米が計画生産に戻ろうとしている。というか、市場経済とそれに合わせた生産体制に半歩足を踏み出そうとしたものの、すぐさまその足を引っ込め、政府の指導に基づく「計画的な生産」に戻ってしまった。農業としてそれが楽だし、政府も権限を発揮できる。
政府の指導に基づく生産といえば、思い出すのが今は崩壊したソ連の計画経済である。共産体制の理想を掲げ、1917年のロシア革命を経て、22年にソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立した。その崩壊は69年目の91年である。
僕としては経済と山の師匠の次の言葉が忘れられない。ソ連の崩壊によってロシアは市場経済に戻されたものの、69年という空白機関が長すぎ、生産者が自分で考えることができなくなった。このため、その後のロシア経済は停滞したままであると。
ソ連では計画経済に国民が慣らされてしまい、市場と直面した経験が国から消滅した。この点、中国が計画経済にあった時間は短く、市場経済を経験した世代がまだ生きていた。しかもアジア人は勤勉である。ウォッカを飲んだくれたりしない。だから急速な発展を得て、世界的な経済地位を獲得したのである。
計画経済は理想的に見える。しかし理想を実現するための本質的な条件は、計画する者が神のレベルに達していることである。現実は、どこにも神はいない。今後の1年間、すべての物の需給を誰が予想できるのか。ましてや新しい物やサービスの出現を予想できるとは到底思えない。仮にそんな者がいたとしても、彼/彼女はすぐさま億万長者になるはずだから、国の役人として働こうとは決して思わない。
横道に逸れたが、日本の米作の保護政策は(他にも真似た作物があるが)、結局はソ連を真似たものでしかなかった。役人に農業の未来を読む力があるはずもない。そんな力があるのなら穀物の先物市場で大儲けである。もしくは農業法人を立ち上げ、成長路線まっしぐらだろう。さらに言えば、国営の農業法人を立ち上げれば、国の歳入がガッバガバである。
そもそもそんな能力が見当たらないから、ここで市場の登場である。政府を含めた神ならざる者にとっては、アダム・スミスの「神の見えざる手」に頼るしか術がない。
日本の米作、「国が神だ」という傲慢を捨てるのが正しい。捨てた瞬間、神の見えざる手が日本の農業を強くする。傲慢を捨てるに際して混乱を招かないため、農業に関する市場の法的整備だけは必須である。加えて米作を護りたいのなら、最低価格の設定と、それに関する財政の整備も必要となろう。

2025/12/13


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