
明日と明後日、日本銀行が金融政策決定会合を開く。これを控え、巷では日銀が政策金利を引き上げるのかどうか喧しい。とくに金融機関のエコノミストの間では、引き上げるのかどうかだけではなく、誰それがこう言ったから、引き上げ方向に傾いたとする。「暇やね」だ。
もちろん日銀が政策金利(その昔なら公定歩合)をどう動かすのか、動かさないのかは経済に影響する。だが極端に言えば、日銀も人の子、間違うことがある。つまり経済動向の見立て違いを生じさせているかもしれない。
一方で金融機関のエコノミストの本来の責務は、日銀と同様、経済動向の見立てにある。だから、まずは日本や世界の経済を分析し、それに応じて金融機関の行動として何が望ましいのか、資産構成(ポートフォリオ)をどうするのか、顧客に対して何をアドバイスすべきなのかを提案すべきである。そのうえで、日銀の見立てが正しいのかどうか、間違っているとすれば、何のどこが間違っているのかを示すことにある。
だから、日銀の関係者である誰それがこう言ったとの指摘は、日銀の判断の当否を議論するのであれば正しいが、そうでないのなら暇であり、無駄、蛇足も蛇足である。そんなことでエコノミストを雇っているとすれば、金融機関のスタンスが疑われる。雇われているエコノミストは似非だとなる。
顧客として、どうだろうか。たとえば証券会社で株式や債券を売買している場合、日銀の政策金利見通しが大きく外れると思い、投機的に売りもしくは買いのポジションを作るのであれば、似非エコノミストの日銀見立てを使いたくなるだろう。多くの似非エコノミストの見立てを集め、「そうだ」とか「違う」とか顧客自身が判断することになる。似非エコノミストが役立つのはそんなところか。
確認しておくと、こんな顧客以外、似非エコノミストの見立てを使おうとは思わない。雇っている金融機関が投機的売買をするわけもない。一部のトレーダーがしているのかも知れないが、それが本来の金融機関の社会的な機能ではない。
視点を変えれば、そんな似非エコノミストは社会の役に立っていない。公営賭博の予想屋と同じである。
2025/12/17