
金融政策は万能なのか。当然、答えは否である。金融は経済活動の主役ではない。金融をいくらいじってみたところで、主役が頼りなければ、経済全体の動きがピリっとしない。日本経済の場合、主役は企業であり、企業で働く個人が準主役か。
この点、極端な例を考えればすぐに理解できる。国民のすべてが「ズル休みしていたとしても、きっと誰かが働いてくれる」と思えば、何も生産されない。金利をいくら下げたところで、ヘリコプターから札をばら撒いたところで、物が店屋に並ばない。だから、「ゼニはあんで、旨いものを食べたいなあ」との需要だけが増え、物の値段が大きく上がり、ばら撒かれた札が無価値になって終わりである。
政府が金融政策への期待を続けるのは、政府にやる気がない(知恵もない)からにすぎない。もう少しいえば、前日銀総裁がもたらした金融政策の効果に味をしめたからである。実際のところはといえば、円安によって大きなデメリットが生じ、効果と相殺されている。むしろデメリットがボディーブロウとして効き、日本を弱らせてしまった。日本の「強いぞ仮面」を剥ぎ取ったのである。
前にも批判したが、日本の多くのエコノミストはエセである。「円安は金融政策のなせる業、政策金利を上げれば今の円安が止まり、円高に向かう」と主張するが、これは金融政策が万能だと主張するのと同じである。もう少しいえば、短期的にはともかく、長期的には効果がないに等しい。
円安は、結局のところ日本経済が弱いこと、言い換えれば「海外が日本から買いたいと思う物もサービスもない(正確には少なくなってしまった)」からでしかない。この点を見逃している(少なくとも無視している)ことからすれば、エコノミストとして登場する者はエセか、誰かの回し者である。
本物のエコノミストなら、誰が日本経済の弱さの真犯人なのかを問い、答えを示すべきである。この点、今日の日経新聞15面「社長が若者に託するメッセージ」は笑えた。
「個性、野性味、異端、挑戦、現場(重視)」など、もっともな単語が並んでいる。では、これら社長の会社自身が、「個性、野性味、異端、挑戦、現場(重視)」に溢れかえってるのか。もちろんそういう企業が混じって入る。「でも、多くはねえ」としか思えない。
そもそも大企業から挑戦意欲が失せている。社長自身、会社を潰すのはもちろん、左前にしては大変との責任感というか保身というか、そんな意識が強く、失敗するリスクを避けようとしている。だから企業の改革が時代の流れの後追いとなる。
もっと酷い企業や組織になれば、責任を負いたくないという意識が強く働き、マニュアルに沿ったことしかしない。いわゆる官僚的組織である。「挑戦」はマニュアルのない荒野への一歩であるから、役所的組織がもっとも嫌う行動である。
「金融政策が・・」と、それを声高に叫ぶのは、一種のマニュアル依存症である。役所だけには、そんなマニュアル依存症になってほしくないと思ってしまう。
2026/01/16