
奈良盆地の南部に登り残した山があった。御所市東部の国見山なのだが、標高229mと背が低すぎ、それだけでは寂しい。そこで「ついでの山」と探したところ、「巨勢山古墳群」の表記が地形図にあり、さらに「巨勢山」が「ヤマレコ」にある。それらをつなげばいい。
巨勢(こせ)とは古代の豪族の名で、御所市付近にいた葛城氏の末裔だとか。その縁の地を「ぐるっと一周するのがいいかも」と計画した。鉄路も使える。
8時前に橿原神宮前駅で乗り換えた。高校生のラッシュアワーだった。近鉄吉野線の駅は、岡寺、飛鳥、壺阪山と続き、次が市尾である。今回の計画のゴールであり、駅の北側に古墳そのものの姿をした丘が見える。市尾墓山古墳である。
市尾の次の葛駅で降りた。家が橿原市のM君にとっても「来たことない」地域だとか。僕にとっては、吉野線で下市や吉野に電車で行くときに通るものの、たんなる田舎でしかなく、風景に注目したことさえなかった。
今回も「山のついでに村落を歩く」程度の事前のイメージしかなかった。ところが駅を出て、かつての街道を南西へ歩き始めると、すぐに立派な家並みが目に入ってきた。
街道は吉野もしくは五条・和歌山へのものであり、前者は近鉄吉野線に、後者はJR和歌山線に受け継がれている。そんな街道の町として周囲が栄えたのかとも思うが、それにしては、行けども行けども立派な家並みである。
帰ってから調べたところ、今回歩いた付近は、和漢薬(製薬、置き薬)、大和絣、林業などで栄え、今でも大和棟の立派な家がたくさん残っているとか。
山に向かう途中に遺跡も多い。まず出会ったのが「女医榎本住記念碑」である。「何のこっちゃ」だが、これも帰ってから調べたところ、文久3年(1863年)、五条代官所の襲撃で有名な天誅組・吉村虎太郎を治療したのが榎本住だとか。チャングムの世界であり、地域の和漢薬ともつながっているのだろう。
次に出会ったのが巨勢寺の塔跡である。塔の礎石が1つ残っていた。巨勢寺は今はなく、巨勢山の登山口横にある阿吽寺が跡を継いでいるのだとか。
巨勢寺塔跡を見た後、国道309号線沿いの歩道を200mばかり歩くと、「古瀬(こせ)」の表示の信号に出る。そこから山側(西)に舗装道路が分岐し、横に「巨勢山口神社」の石柱が建っている(実はもう1つの側面に「大倉姫神社」とも彫られている)。これが巨勢山の登山口である。
分岐を登っていくと、砂防ダムの横を通り、その上で車道が終わる。その先は巨勢山口神社への参道である。石段を上り、鳥居をくぐると境内に出る。上部に立派な社がある。巨勢山へは、境内奥の建物の横から北側の尾根に取り付けばいい。すぐに尾根に出るので、左手へと登っていく。
尾根には踏み跡があるのだが、その尾根がすぐに不明瞭となり、踏み跡も薄くなる。植林と雑木混じりの急な斜面を登ると、程なく山頂部に出た。山頂は城趾であり神社があったともされる。確かに山頂の東側は削られたように見えた。
三角点(295.8m、点名は西尾)は山頂部の南側にあった。展望はない。下りは往路を戻った。
写真、上は市尾付近からの巨勢山(右のピーク)、中央左に大きな採石場がある。下は巨勢山の山頂である。


2026/02/01